2016年8月21日日曜日

見えていないところにも心を向け続けよう

 クラスにいるAさん。
    Aさんはいつも笑顔で,男女だれとでも気軽に話している。また,人前でも恥ずかしがったりせず,話し合いの司会を進んでやったり,みんなの前でダンスを踊ったりしている。そして,周りからちょっとからかわれたりしたときでも,
「何言ってんの?」
という感じで,軽く笑って受け流している。
 そんな見えている姿から,元気で明るい子,嫌なことがあってもそれを気にせず,前向きに考えられる子,そんな風に感じていた。
 ある日,クラスでもめごとがあった。Aさんも関わりがあったので,放課後に話を聞いた。もめごとについてはお互いに納得し無事解決した。その後,玄関までAさんを送っていくと,
「どうしよっかな~。」
「話そうかな~。」
と,Aさんがぶつぶつ言っていた。納得したと思っていたのだが,まだ十分納得できていないことでもあるのかなと思っていた。
 少し待っていると,半年以上前にあった宿泊研修でのできごとを話してくれた。
 宿泊研修のために作ったグループのリーダーになったAさん。グループをまとめようと頑張っていたのだが,うまく進められなかったことがあり,メンバーからいろいろと言われていたのだ。Aさんは,そのときの悲しい思いをずっとずっと,それこそ半年以上も抱えていたのだった。そして,やっと自分なりに整理することができ話してくれたのだ。
 わたしは,宿泊研修のときにそのようなことがあったことも気づかなかったし,Aさんがそんな悲しい思いをずっと抱えていたことにも気づけなかった。
 それはきっと,目に見えている姿から,Aさんは明るい子,小さなことにくよくよしない前向きな子という Aさん像を自分で勝手に創り上げ,いつもそういう目で見ていたからなのだ。
 わたしは,笑顔でいる,元気にしている,明るくふるまっているなど,見えていることで安心してしまうことがある。
 そして,その見えている姿から勝手にその子像を創り上げ,その枠組みでその子を見てしまう。これはとても危険なことだ。見えていることで,見なければならないことを見ようとしなくなってしまうからだ。これでは,その子のことを理解することにはならない。その子のことを本当の意味で理解するためにも,見えていること,見せている姿だけではなく,見えていないところにもいつも心を向け続けるようにしたいと思っている。


三浦 将大

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