2017年12月28日木曜日

この、手の温かさ

冬休み前の最終日。全校朝会の時に、担任している子がそっと私の手を握った。
その時、私の手はとても冷たくて、その子の手は汗ばむくらい温かかった。

「せんせい、手、つめたいね。」
「 Oくんの手はあったかいね。」

そういうとO 君はぎゅっと私の手を両手で握った。温めてくれているようだ。
私の手が温かくなるまで、ずっと握っていた。


今年度、久しぶりに特別支援学級の担任となった。初任の時以来なので7年ぶりであった。この7年間、特別活動等の研修を中心に学級経営を学ぶ楽しさを感じ始めていたので、正直、初めはなんとも言えない感情になることが多かった。

学級開き 運動会 学級会 日々の授業…


しかし、担任している子供たちと向き合う日々の中で、この7年間で少しずつ希薄になっていたものがあったことに気がついた。

集団としての成長に目がいきすぎて、個人をしっかり受け止めていたかな
自分の仕掛けに溺れていなかったかな
一人一人の子供の笑顔、想いを大切にできていたかな
ふれあっているようで触れ合えていなかったのでは…
子供たちを愛していたかな…

過ぎ去っていく日々の中で、少しずつ疲弊していく中で、頭では分かっているのだけれど、心がついていっていないことが増えていったように思う。
少しずつ経験を積み、学んできたつもりが。アップデートしてきたつもりが。
できることが少しずつ増えてきた反面、気づかないうちにないがしろにしていたことがあったのではないか。

この、手の温かさを忘れてはいけない。子供たちと交わす、言葉の一つ一つ。

改めて自分を振り返ることができたこの1年。気づかせてくれた子供たちに感謝。
未熟すぎる自分ではあるが、子供の心を感じながら、来年も一歩ずつ自分らしく進んでいこうと思います。



そして早速ですが、来年の第一歩ということで!
1月27日(土)に北見市で道徳の研修会を開催します!
素敵な講師の先生方と一緒に学びませんか?
こんな未熟者の自分も、悩みながら模擬授業を行わせていただく予定です。
よろしければぜひ足をお運びください!

拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
                                              (佐藤 亮子)


2017年12月24日日曜日

なって初めて考えること

 突然ですが、私、円形脱毛症になりました。
 初めてのことで、言葉にできないほどの激しい動揺の中、生活をしています。
 気づいたのは、2週間ほど前。そこから、みるみる脱毛が増え、地肌が見えるところが次々と現れてきました。さまざまな症状があるようですが、現在、20カ所ほどの円形脱毛があります。
 そんな様子ですから、周りの人たちは、みんなすぐに気がつきます。どう対応したらいいかを困らせないようにと、すぐに伝えました。クラスの子どもたち、職場の方々。PTA主催の活動もあったので、保護者の方々にも通信を通じて伝えました。
 こうすることにより、「脱毛」に関する配慮がなされるようになります。私にとっては、とても過ごしやすい状態となりました。
 あなたなら、こんなとき、この事に触れられない方がいいですか?触れてほしいですか?実際、職場や周囲の方々からは、「脱毛、大丈夫?」と声をかけていただきました。そのほとんどが「私も昔なったことがある」や「周囲の人でなった人がいる」というものでした。こんなにもたくさんの人たちがなるものなのかと改めて思わされるほどでした。でも、その声かけによって、気持ちが楽になったというのも確かでした。
 つまり、触れてほしくないと思うことも、触れ方次第では、本人の救いになるということです。
 クラスの子たちは、さすがに、「なったことがある」という子がいないでしょうから、触れずに過ごしています。これまで通りに過ごすみんなが、「すごいなぁ」ととことん思いました。ですが、相手が「担任」だから、しかも、そのことについて話をしてきたら、いろいろな思いもありながらもそんなふうに過ごしてくれているのだろうと想像します。過ごし辛くさせているかもしれないなぁとも思いました。
 ふと、「これが私ではなく、クラスの子だったら?」と考えました。
 私のように、さっとみんなに伝えて、楽に過ごせる子ばかりではありません。自分では言えないけど、みんなに知ってもらって過ごしやすくなりたい!という子もいるでしょう。笑って話すけど、ものすごく内心落ち込んで、深刻に悩む子もいるでしょう。誰にも言えず、誰にも知られたくなく、殻に閉じこもる子もいるかもしれません。今、目の前にいる子どもたち一人ひとりの心に届く声かけを、それぞれの子に合わせて届けられるか?と自分に問うと、そんな自信が微塵もないことに愕然としてしまいました。
 でも、今、自分の頭を見ながら、自分にかけてもらった言葉を噛みしめ、何か言葉が浮かぶかもしれないと思い始めている自分もいます。特別な状況下におかれた今だからこそ感じられたことなのかもしれません。明日25日、2学期の終業式があります。20日間の冬期休業を経て、3学期を迎えます。もう少し、子どもたちを見つめる目を磨きたいと思ったクリスマスイブの夜でした。
                          (太田 充紀)

2017年12月18日月曜日

定時制の商業高校から全日制の普通科高校に転勤して8か月、諸事情でひと月半離脱しましたが、初めての公立高校全日制普通科ということで、あわただしく時間が過ぎています。教えているのも、ほぼ古典のみ。文法で助動詞まで教えるのは10年ぶりという私にとっては、学び直すいい機会となっています。
さて、現任校に赴任してから、毎単元に必ずリフレクションを取り、生徒全員にリフレクションという新しい試みをしています。1学年では毎単元リフレクションをとり、2学年では10月から長い単元では単元で2回、短い単元では毎単元ごとのリフレクションに切り替えました。
とくに、1年間古典を学習し、2年目から教科担任が変わった2年生では、すでに学習内容の定着度合に結構な差があったため、意図的に丁寧にリフレクションを行いました。生徒にはわかったところとわからなかったところを詳しく書いてもらうなど、結果的に、授業を進めるうえで現任校の生徒にとって何が難しくて何が簡単なのかを理解できたことは、とても役立ちました。単語ごとに区切ったり文節ごとに区切ったりできないまま高校に入学する生徒も意外と多く、この段階ですでに躓いているので古典文法が分からなくなっている生徒が多いわけです。また、活用の表を理解できても、本文で出てきたらお手上げ、という生徒もいました。また、文法はおおむね理解できている生徒についても、文中に出てくる形容動詞の「ナリ活用」の「に」や「タリ活 用」の「と」が意外と気づけなかったり、直接過去の「き」の活用「せ」「し」あたりに気づけなかったりするわけです。これを書いている12月現在は生徒の文法の不得意を一つずつつぶしていって、逐語訳ができるように授業をして、徐々に生徒の理解度も上がってきているように(リフレクションを見る限りでは)感じます。
ところで、高校では「わからないことが恥ずかしい」と思い、すでにその教科を「棄てて」いるという状況が入学時から見受けられるということがあります。生徒の仲がとてもいいと感じる現任校でも、勉強となると、「わからないことを誰にも聞けないまま放置している」生徒が多数見受けられるわけです。そのため、高校でゼロからスタートできるはずの「古典」で圧倒的な学力の差がすぐに生まれるわけです。それは絶対阻止したい!
そのため、私は授業開きで「互いに援助要請がしやすくなる仕掛け」を行いました。それは「ベストフレンドS」というドイツゲームをグループワークで行いました。コミュニケーションを円滑にしておくことで、「聞きやすい雰囲気」ができる。これはとても大事なことです。さらに、グループワークで古文の読解を行う際に、コミュニケーションが成立しにくいグループがあった場合は、「わからないことを聞くことは恥ずかしくない。わからないことを放置して試験で自分の望む点数が取れないほうが恥ずかしい。また、そのせいで結果的に卒業時に希望の進路に進めないと恥ずかしいどころか悲劇である。」ということを説明したうえで「今あなた方のチームがすべきことは何か?」と問うことにしています。
このような繰り返しがあってか、グループワークが成立しづらい場合、生徒の方から「困っています」という申し出を受けるようになり、そこの部分について指導をすることもあります。
自分たちの学習活動や学習の過程で起きたこと、学習定着の阻害要因をメタ認知することは、高校生が家庭学習を進めるうえでも、社会に出ていくうえでも大事なスキルになることは間違いありません。(長澤元子)
 

2017年12月11日月曜日

つながりに支えられ

気付けば2学期もあとわずかです。
長い2学期、行事を核に据えつつ、日々の授業を通して学級づくりを息長くしていくことは、その舵取りがとても難しいと毎年感じます。
目指すは「良い加減」。
空気をゆるめすぎれば、楽な方へ墜ちていきます。
手綱を締めすぎれば、息苦しくなる子が出てきます。

大きな行事が終わり、日常の繰り返しになった時期にこそ、どこかにひずみが出ていないか、多様な視点で振り返る必要がありそうです。

とはいえ、私にはそんな器用なことはできず。
手痛い失敗を何度もしてしまいます。
多忙な職場の日々はバタバタ。職員室でゆっくりと話をするような余裕もありません。私の仕事の要領が悪いせいでしょうけれど……。

そんなときでも、頼れる人たちがいることに気付きました。
このブラッシュアップセミナーでつながった人たちです。
どの方も現場で奮闘されている一教師です。
今、自分が苦しんでいることと同じような経験をされている方もたくさん。
そんな方に話を聞いていただくことで、冷静に現実を見つめる余裕が生まれてきます。私にはない見方・考え方に救われます。
ありがたさに、涙がにじみます。

困った時ほど、人とのつながりに支えられることを実感しています。
実は、とても幸せなことではないでしょうか。
私もいつか、誰かのそういう存在になれたらいいな……。
そっと願いつつ、日々また奮闘です。

(斎藤 佳太)

2017年11月26日日曜日

苫小牧集会 盛会でした

11月25日(土)、苫小牧アイビープラザにて苫小牧集会を開催しました。
今年3回目となる苫小牧の学習会に、20名を超える方が集まってくださいました。
テーマとして取り上げた「特別の教科 道徳」授業づくりへの、関心の高さが窺えます。

講師の東峰秀樹先生(安平町立早来中学校教頭)は、胆振管内の小学校にお勤めになる間に、道徳の基本的な流れに基づいた授業を追究されたエキスパートです。本時の授業とつながる事前・事後の取組を含めた道徳教育の要としての授業づくりについて、たいへん分かりやすく教えていただきました。
もうお一人の講師:大野睦仁先生(札幌市立三里塚小学校教諭)は、「いのちの授業」実践に代表される、オリジナル実践のエキスパートです。自ら教材を開発して道徳の授業づくりをするようになるまでの変遷を踏まえて、ご自身の授業づくりについて紹介してくださいました。
対照的なお話を比較しながら聞き、さらにお二人の対談を通して、道徳の授業づくりについての理解を深めました。

午後はスタッフによる模擬授業や、教科書の資料に「プラス1」して授業づくりを行う提案をお聞きいただきました。道徳が教科化されることは、子どもたちも保護者も知っています。だからこそ、より真摯に授業づくりに取り組まなければいけません。目の前の子どもたちの様子を踏まえて、担任の先生だからできる「プラス1」の発想が大切になってきます。

最後はこれまでのお話を踏まえて、参加者一人一人が授業を考えました。講師に質問しながら、参加者同士で相談しながら、早速、来週に行う授業について構想されていました。
ご参加になった皆様の、そして皆様が接する子どもたちの益になれば幸いです。

終了後は、市内の居酒屋にて、6名で懇親会を行い、楽しく振り返りをしました。

講師のお二人、およびご参加の皆様、ありがとうございました。
(斎藤 佳太)

2017年11月25日土曜日

考える子どもに

「リンゴが7個ありました。ミカンが5個ありました。リンゴは全部でいくつですか?」
 
今年の4月、今年度担任している4年生に算数の授業開きで出した問題です。正解者は2名。残りの子の多くが、さっと12個とだけノートに書き、その後は何もせずただ待つのみでした。
 
 問題文をよく読むこと。イメージしたり図に書いてみたりすること。見直しをしてみること。「よく考えること」の大切さを伝えてもう次の問題へ。
 
「5人でおにごっこをしていました。2人をつかまえました。残りは何人ですか?」
 
 やはり、多くの子が3人とノートに書きましたが、その後、半分くらいの子が「また、だまされているんじゃないか?」とノートに図を書き始め、気がつく子もでてきました。
 
それでも、半分くらいの子は3人と書いたまま動きません。(動けません。)
 
「よく考えること。」言葉で伝えることは簡単ですが、意識して取り組めるようになるまでには繰り返しの指導が必要です。(先ほどの2問は、過去1年生を担任した際の2月に出した問題でしたが、全員が一度で正解しました。)
 
僕自身「よく考えること」なく「素早く・簡単に問題を解く。」「暗記する。」を繰り返して、点数をとってきたためか、研究会やセミナーなどで「どうして、ここに考えがいたらないのだろう。」「表面的にしか考えられていないな。」と思うことが多々あります。
 
 「よく考えられる人になりたい。」「少しでも考える子どもになってほしい。」と思いながら日々を過ごしています。
梶原 崇嗣

2017年11月15日水曜日

第97回教師力BRUSH-UPセミナーin函館のご案内

第98回教師力BRUSH-UPセミナーin函館

期 日:平成30年2月17日(土)
会 場:北海道教育大学函館校 特別教室
テーマ:実践! リフレクション!!~タテに並べて考える「学び方」学び~
講 師:大野睦仁ほか
参加費:3000円

8:30 スタッフ集合・会場設営・受付準備
9:00 開場・受付開始
9:15 開会セレモニー(総合司会:三浦将大)
9:20~9:50 オープニング提案「『振り返り』の出口イメージ~高校生でここまでみとる・考える~」提案:長澤元子/FG:藤原友和
   テーブルグラフィッカー:三浦将大/有我良介/小辻美希
    ※テーブルグラフィッカーは、自席でスケッチブックにFGします。

10:00~12:00
  【第1部】実践報告+座談会「クラスで振り返り(リフレクション)、やってみた」
   実践報告① 加藤慈子/FG:斎藤佳太
   実践報告② 鈴木 綾/FG:八重樫大輔
   座談会:大野睦仁/長澤元子/野呂篤志/内藤一志 FG:藤原友和
   コーディネーター:小林雅哉
   テーブルグラフィッカー:三浦将大/有我良介/小辻美希
    ※テーブルグラフィッカーは、自席でスケッチブックにFGします。

12:00~13:00 昼食
13:00~15:30
  【第2部】道徳模擬授業+対話「授業で振り返り(リフレクション)、やってみた」
   模擬授業①~小学校~ 工藤麻乃 FG:斎藤佳太
   模擬授業②~中学校~ 清水 巌 FG:八重樫大輔
   座談会:大野睦仁/野呂篤志/内藤一志/斎藤佳太 FG:藤原友和
   コーディネーター:三浦将大
   テーブルグラフィッカー:小林雅哉/有我良介/小辻美希
    ※テーブルグラフィッカーは、自席でスケッチブックにFGします。

15:45~17:00
  【第3部】講座「私とリフレクション~「仕組み化」~」大野睦仁

17:00~閉会セレモニー 

17:30~懇親会

集会・懇親会のお申し込みは「こくちーず」から!
http://kokucheese.com/event/index/496270/

2017年11月13日月曜日

私と道徳


「道徳」と聞くと、みなさんはどのようなイメージを持ちますか?



学生時代の「道徳の時間」で、覚えていることはありますか?



 私は小学生の時の「道徳の時間」を覚えています。覚えているといっても下のことくらいです。そしてこれ以外のことをあまり覚えていません・・・。



 ・ざわざわ森のがんこちゃん

 ・さわやか3組

 ・テレビを見た感想を書く



私にとって「道徳の時間」は、苦手な時間でした。理由は、先生が私(子どもたち)に期待している答えを何となく予想してしまうからです。「先生、きっとこう書いてほしいのだろうな」「っていうか、そう聞かれたら、こう答えるでしょ!(笑)」のような自問自答をしながら、授業を受けていた記憶があります。そしてその答えを書くことが、恥ずかしくもありました。私にとって「道徳の時間」は、先生に問われて、新しいことを考えるのではなく、今自分が持っている道徳心を試されているような時間でした。もしかしたら同じように思っていた人は、大勢いるのかもしれません。



 年に数回ですが、道徳の模擬授業を受ける機会や学ぶ機会があります。どの授業も自分の考えが揺さぶられたり、深くなったりするようなものばかりです。提示される教材も読み物・動画・絵本・写真…本当に様々ですが、どの教材も私の生活からかけ離れているような話題ではありません。だからこそ自分事として考えられるのかもしれません。子どもたちの心にじんわり響いていくような、子どもたちが自分の考えを伝えたくなるような、そんな授業ができたらなあと思います。そんな授業ができたら、子どもたちの考える心が育っていくのではないかなあと思います。そのためにどんなことができるのでしょうか。日々アンテナを高くしていたいと考えていることの1つです。



 来年の1月27日(土)に、北見で道徳の研修会を開催します。

 「特別の教科 道徳」について、参加者の皆さんと一緒に考える会です。過去2回はカフェで開催していましたが、今回は模擬授業を行う関係から「公民館」で開催します!!「綺麗な」公民館で、「お洒落」な講師の先生方と学びませんか?きっときっと、頭も心もわくわくするような会になります。どうぞよろしくお願いします。

 宣伝のようなブログになってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

http://kokucheese.com/event/index/495400/

(辻村 佳子)

2017年11月9日木曜日

私とリフレクション

現在私は6年生の担任をしている。
 教員の仕事に就き,3年になる。「あなたが何気なくやっていることは,良くも悪くも子どもに影響するよ。」そう言っていた先輩教諭の意味が少しずつ理解できるようになってきた。

「"自分"を大切にすること」―これは私自身の核である。
子どもの会話を聞いていると,自分の言い続けてきた事・やり続けてきた事が子どもに浸透していることを実感させられる。これは,56年と持ち上がりで受け持ち,2年間言い続けてきたことの結果である。そして先輩教諭の影響なのである。

「あなたが何でもかんでも聞いていては,子どもも同じように何でも聞きに来て自分の意思をもてない子になってしまうよ。1年目だろうが,何年目だろうが,子どもにとってあなたも私も同じ先生なの。子どもの前では自信をもちなさい。」

私は子どもの悪いお手本になっているかもしれない。そうならないよう,"自分"というものを大切にすることを一層心掛けるようになった。先輩教諭の一言は,私の思考を変えるきっかけになった。

私が子どもと接する中で心掛けていることは「指導に一貫性をもたせること」,「子どもの声をきちんと聞くこと」,「良いところはとことん褒めること」の3つである。当たり前のことかもしれないが,私はこの3つを大事にし続けている。不安にならないように,事前に質問したり打ち合わせを入念に行ったりしながら,子どもの前では堂々と接するように心掛けている。
これらを意識するようになってから,自然と子どもとの会話や気になること,自分自身の反省点などを毎日メモしていくようになった。そして,このメモはいつしか日記へと変わっていった。

 小学校生活も残り4ヶ月ほどである。卒業文集に取り組む中で,私がやってきた事・取り組んできた事は,本当に子どものためになっていたのか…と考える機会が増えてきた。自分自身の言動を,もう一度見つめ直すことができるようになった。
6年生だからこそ, 率直な意見が聞ける。良いことも悪いことも,毎日さまざまな意見を聞くことができる。
何気ない言動で子どもを傷つけていたこと・話が転々といていたことなど,子どもとの対話を通して気付くこともあれば,自分の日記を見て,子どもと同じ会話をしていたことに気付くこともある。こうした毎日の子どもとの会話が,毎日付けている日記が,私の学びになっているのである。

1125日,私のクラスは函館市で行われる綱引き大会に参加する。大会への参加は2回目で,今年は綱引き大会に向けて,他校と練習試合も予定している。
「昨年つなひき大会に出てから,団結力が強くなりました。」「みんなで1つになって何かに取り組むことはとっても楽しいです。」「同じチームじゃなくても,応援し合える僕たちは最幸です。」「○○がちゃんとしてくれないから,このチームは弱いです。」
―子どもの発言は,現在の学級の様子を物語る。だからこそ,子どものふとした発言や些細な変化には一層気を配らなければならない。

もう一度自分自身を見つめ直すこと。それは子どもだけでなく,教師も大切なことなのかもしれない。

(鈴木 綾)