2017年8月7日月曜日

「見えないものが見えるようになりますように…」

子どもたちが先生から指名を受けずに、
次から次へと発言をしていき、
課題に向かって、学びを進めている。

子どもたちがグループになって、
一つの課題を解決するために、
あれやこれやと話し合いをしている。

子どもたちが係活動を自主的に進めて、
どんどん活動の幅が広がり、
教師の想定を超えた活動をしている。

どれも、目指したい姿だと思います。
でも、必ずこうした結果には、過程があります。

それなのに、
「いきなりこんな結果は生まれない」ということを
時々忘れてしまうことがあります。過程は見えないからです。

書籍や各セミナーでの提案の多くは、結果に重点が置かれます。
結果が伝わらないと、そもそも過程も伝える必要もないからです。

もちろん丁寧に、その過程を見えるような場合もあります。
でも、「見えるようにしている」だけなのです。
「見えている」とは限らないのです。

なぜならば過程は、簡単に見えないからです。
当たり前ですが、
どんな力量・キャラクターをもった教師であるかで、過程が違うのです。
子どもたちとどんな関係性をもっていたかで、過程が違うのです。
どんな子どもたちで、どんな保護者で、どんな地域で、どんな職場で、という条件で、過程が違うのです。

もちろん提示された過程には、どんな条件であろうとも、通じる部分があります。
だから、そこを頼りに、そのあとは、自分で見えるようにするしかないのです。

この夏、たくさんのことを学んでいます。
学ばせてもらったことには、必ず「過程」があること。
まずそれを忘れないこと。大事にすること。
そして、学んだことを頼りに、見えないものが見えるようになるよう、
夏休みの残り半分を過ごしていきたいと思っています。
(大野睦仁)

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