2017年10月31日火曜日

苦手な学芸会

先日、勤務校の学芸会がありました。
我が子も週は異なりますが、同じ時期にありました。
見た発表は、いずれも工夫を凝らした内容で、楽しいものばかりでした。
どの先生方も凄いなぁというのが、まず抱いた感想でした。

ある劇は、子どもたち一人一人のキャラが生きる配役、台詞になっていました。
そこまでの準備に充てる熱量に驚愕しました。
ある音楽発表は、和太鼓を借り入れ、未経験の子どもたち全員に一から指導し、発表の形にしていました。
計画的な取り組みとその指導力に感嘆の声をあげました。

私は、4年ぶりに学芸会の発表内容を担当しました。
劇の本を準備し、歌も決めました。
ただ、そこからの指導や準備が、とにかく不安で仕方がなかったのです。
ごく簡単に、一言で説明すると、苦手なのです。
さらに、学年一学級という規模。
本と歌の準備まででも、結構、悩んでしまいました。
そんな時、先ほど書いたような先生方を思い浮かべ、チャレンジしてみようとしますが、
自分には到底無理。
ストレスで白髪が増えることを覚悟するばかり……。

ただ、今年は、指導開始後、ほとんどストレスなく、内容もかなりまとまったものになりました。
なぜだと思われますか?

たぶん、皆さん「助けがあったんでしょ?」と
想像されたのではないでしょうか。
その通り、「サポートメンバーの充実」でした。
学年単学級ではありますが、支援の先生が1人入ってくれているので、
その方が協力なメンバーとなりました。
さらに、校内体制として、フリーや少人数指導担当、専科、支援員等の先生方が各学年にサポートに入るように
してくれました。これには、大助かり!!

それにより、さらに2人を加え、トータル4人での指導。
支援の先生には、歌と大道具、小道具に演技指導を担当してもらい、
専科の先生には、照明効果を全てお任せ。
支援員の先生には、細かな演出と演技指導も。
私は、ほぼ音響をしていたら、どんどん形になっていくというステキな練習でした。

結局、自分のできることは、たかが知れているんですよね。
無理してできることにも限りがある。
助けてもらった方が、最大限の効果が得られる。
そんなことを実感した学芸会でした。

そういえば、振替休業日の今日。
家事をしながら、この家事も妻となんとなく互いにやれることをしているなぁと思い、
ちょっと力を込めて、片付けしています‼

                    (太田充紀)

2017年10月30日月曜日

第96回 教師力ブラッシュアップセミナーin北見のご案内

テーマ:特別の教科道徳の授業づくり

~これまでとこれから~

 日時:平成30年1月27日(土)13時~17時
開催場所:北見東地区公民館 研修室1
参加費:2,000円

 教師力BRUSH-UPセミナー代表の大野睦仁氏と事務局長の山口淳一氏を講師にお迎えします。お二人とも札幌市内の小学校で勤務されています。模擬授業などを通して、「特別の教科道徳」の授業づくりについて、一緒に考えてみませんか?
『プログラム』
12:45 受付
13:00 チェックイン
13:05 「道徳の教科化、こう考えています」(大野睦仁さん)
14:00 道徳模擬授業A「主として自分自身に関すること」(辻村佳子さん)
14:20 道徳模擬授業B「主として人との関わりに関すること」(佐藤亮子さん)
14:40 道徳模擬授業C「主として集団や社会との関わりに関すること」(山口淳一さん)
15:00 道徳模擬授業D「主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」(大野睦仁さん)
15:20 休憩
15:25 ブレイクタイム(模擬授業への質問・疑問などを交流します)
15:40 模擬授業について~こう考えながら授業をつくりました~(辻村佳子さん・佐藤亮子さん)
16:10 模擬授業について~私のこれまでの道徳とこれからの道徳~(山口淳一さん・大野睦仁さん)
16:50 質問タイム・チェックアウト
参加申し込みは「こくちーず」サイトから!

2017年10月29日日曜日

人間だもの

土曜日に勤務する中学校で吹奏楽部の定期演奏会があった。私は第二部の3曲目で指揮をすることになっていた。その曲を演奏する際に、サイリウム(ポキッと折ると光る棒。コンサート会場でよく見るアレ)を会場に配り、皆で曲に合わせて振るという演出になっていた。
開場前に、演出を担当する生徒が、サイリウムを3本束ねてテープでとめた棒を持ってきた。
「先生、これで指揮をしてください。始まる前に折ってください」とのこと。
「わかりました」
 しかし、ものの5分を経たないうちに、致命的なミスを犯してしまう。
 ここ数週間、演奏会や企画したイベントの準備に追われ、疲労は極限にまで達していた。背中の張りは尋常ではない。肩も背中もカチカチだ。
 部隊袖から入場してきたお客さんを眺めながら、無意識のうちに張っている背中に手にしていた棒を押しつけた。その棒は意外にツボにフィットする。
「あ、いいねえ」
と思った瞬間。
「ペキッ!」という音が背後から聞こえた。
 恐る恐る手にした棒を見ると、部隊袖の暗がりで折れた部分がぼんやりと光りだした。
 万事休すだ。出番まで1時間以上ある。その後、光る棒をそっと布に包み(効果のほどは疑問だが)、椅子の上に置く。このことに気をとられている時間はない。やることは山のようにある。司会との最終チェックや演出の打ち合わせに向かう。
一通りの作業を終え、自分の場所に戻る。ドカッと座った椅子に座ると、「ペキッ!」という聞き覚えのある音がした。手にした棒は「今、振ってくれ」と言わんばかりに光っていた。

 私は生徒の失敗を強くしかることの出来ない人間だ。なんで、そんなことしたのと言われても答えられるわけがない。年々私の寛容度が上がっているのは、自らの失敗の量と比例している。
 とは言っても、あってはならない失敗だってある・
 以前、家庭科の裁縫でクラスの子どもが巾着袋をつくった。その時提出された巾着袋を手に家庭科の先生が笑いながら、やってきた。巾着袋を上からさわると固い金属の手触りがある。しかし中に手をいれても巾着袋は空である。なんと布の間にハサミを入れたまま縫い上げてしまったのだ。
 これは手術の際に体内からメスを取り忘れる医療事故と同じだ。
あの子が医者になっていないことを祈るばかりである。

(千葉孝司)

2017年10月16日月曜日

学習発表会の時期に思うこと

ボクのまわりの人たちの学校は、学習発表会シーズンだ。
準備が始まったり、無事終えたりしている。そんな報告が飛び交っている。

ボクの学年も、学習発表会の練習がスタートしている。
いろんな意味で慌ただしくなってしまい、大切なことを軽視しがちになるから、日常を大事にしながら取り組みたいと思う。
だから、日常の延長上として、学習発表会があるといいなと思う。
でも、それは、あくまでもボクたち、教師の視点であることを忘れてはいけない。

子どもたちにとっては、学習発表会は、やっぱり日常ではないからだ。
特別に時間をとって、誰かに見せる(見てもらう)以上、子どもたちにとっては、日常ではないのだ。
ましてや保護者にとって、日常の大切さは理解してもらえても、学習発表会の出来栄えとは別物に考えてしまうのが自然だろう。

こうしたズレは、後々、様々な場面に影響してくることもある。
「日常を大事にしながら取り組む」という言葉は、ボクからすると、カッコイイ言葉だから、すぐに飛びついてしまうけれど、こうしたこともしっかり意識して取り組みたいなと思う。


「大成功でした!」「いい発表会になりました!」「子どもたち、みんな満足でした!」という言葉で終えられるような取組、発表になるといいなと、いつも思いながら進めている。でも、年齢と経験を重ねるごとに、そんな思いから遠ざかっていくことばかりだ。
終わった瞬間は、達成感がある。
でも、それは一瞬の出来事で、すぐに、本当に一人一人の思いに応えられた取組、発表になったのかと思って、心がドキドキする。不安になる。慌ただしかったせいで見えてなくて、盛り上がった(ように見える)せいで見えてなくて、思いに応えられなかったところがあるんじゃないかって。

練習をするたびに、振り返りを書いてもらっている。子どもたち自身が次の課題を見つけんがら、取り組めるためにだけれど、そこで書かれていることをていねいに読みとって、少しでも多くの子たちの思いに応えられる取組、発表会にしていきたいと思う。

                                       (大野睦仁)

活力のもとは

3年ぶりに、札幌市民合唱祭に出場しました。
たった5分たらずですが、1000人収容の大ホールのステージに立って歌う貴重な機会です。
今年は、miwaさんの『結』を歌いました。
昨年度のNHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲です。
何度出場しても、1000人収容の大ホールのステージに立つことは、緊張感とともに喜びが心を満たします。
ピンとはりつめた舞台袖の空気は、何度味わってもよいものです。
優秀な発表をした団体には何か賞が当たるらしいのですが、私たちはステージに立って歌わせていただくことそのものに、大きな意味を感じて続けています。

一緒に歌うのは、学生時代からの合唱仲間。
最初は十数名でステージに立っていましたが、卒業から時を経るとともに全国に散り散りになり、今は数名でやっています。
教員を始め、様々な立場に身を置く仲間とのつながりは、とても貴重です。
大学卒業から十数年経ってもこうして集まり、共に歌える環境は、望んでもなかなか得られるものではありません。

時を同じくして、『君の名は。』のDVDを借りて見ました。
ようやく。今更。
担任クラスの子がRADWINPSの『スパークル』のCDを持ってきたのがきっかけです。
めんこい教え子の好きな曲であることに加え、前奏の強弱の付け方に心惹かれ、そこから曲の経緯をたどっていく中で行き着きました。
「男性にはピンとこないよ~」などとと聞いていましたが、観て良かった、というのが率直な感想です。楽曲と映像との融合に息を呑みました。

いつからか、世に出される新しいものに疎くなり始めていました。
年齢によるものか、視野の狭さによるものか、日々の慌ただしさに紛れてか。

気がつけば家と職場の往復になってしまいそうな昨今。
家庭や職場外のつながりや文化に努めてふれることが、人として、結果として小学校教諭としての活力を保つもとになっていると感じます。

(斎藤 佳太)

2017年10月12日木曜日

離れてもつながる

今年度は第3学年(3学級)の、学年主任をしています。

現任校での勤務は3年目となりました。3年とも学年主任をさせていただいております。

勤務校では、学年主任には分掌業務がなく「学年経営部」という組織があります。校内研修推進や生徒指導、特別支援に関することなど、学年主任を学校経営の核として位置付け、学校運営を進めています。簡単に言ってしまうと、学年主任は全ての活動においてリーダーシップを発揮し、周りを牽引せよ、ということです。


これまで私は「周りを引っ張らなくてはならない」という思いから、夜遅くまで学校に残り、仕事をすることが多かったです。あれもこれも考えておかなくては、と全力で動き回っていました。


しかし、今年度はどうしても早く帰らなくてはならない日が多く、自分の働き方をよく考えなくてはならないと思いました。考えなくては、考えなくてはと思っているうちに時間が過ぎ、無策のままただ早上がりを繰り返す日々が続きました。


すると、不思議なことが起こります。

僕が一生懸命準備していた時と、僕が早上がりしていた時とを比べると、後者の時の方が学年の動きが良くなっていたのです。

僕が最低限の仕事だけしていさえすれば、学年の先生方がいろいろと考え、動いてくれました。


僕が「早く帰らないといけない」からこそ、今日明日話しておかなければいけないことは何か、確認しておかなければいけないことは何かということを僕も学年の先生たちも考えるようになりました。それが動きが良くなった要因のひとつだと思います。決して僕が嫌われていたわけでは…ないと思います。


いつも同じ場所にいることだけが大事なのではなく、「離れてもつながっているためにどうするか」ということが大事なのかもしれない。そう思います。


頑張っても仕事が上手く回らない、そんな時は思い切って早く帰ってしまうのも1つの選択肢だと思います。忙しいこの時期、自分の心身を健康に保つことも、大事な仕事ですから


普段頑張っている皆さんが1日くらい休んでも、周りはきっと助けてくれます。助けてくれなかったらもう一日くらい休んでみるのもいいかもしれません。(小林 雅哉)

2017年10月9日月曜日

「密かな変人力」を身につけよう


 先日、道徳授業改革セミナーで愛知の鈴木健二先生のお話を聞く機会に恵まれました。鈴木先生は講座の中で、道徳の授業をするには「素材発見力」「教材活用力」「教科書活用力」が重要だと述べておられました。わたしは道徳の授業をつくるときにも、いつも悩んでばかりです。ただ、今まではただ漠然と悩んでいたのが、この3つの括りで、わたしの頭の中がだいぶ整理されたような気がしました。

 その中の「素材発見力」について鈴木先生は、とにかく「何気ないことが気になる感覚」がなければいけないとおっしゃいました。鈴木先生自身は、ペットボトルや箸袋に書いてある文字、地下鉄の中刷り広告やテレビ番組に至るまで、あらゆるものから道徳の素材を見つけておられました。ご自分で「人はこれを病気といいます」などと笑い話にしておられましたが、わたしは自分自身の甘さを痛感しました。この「何気ないことが気になる感覚」を磨かないことには、何も始まらないのではないかと思うのです。

 このところ、年齢を重ねていくにつれて、涙腺が緩んでしまうことが多いです。でも、わたしはただ漫然と、涙を流していたに違いありません。記憶に残っていないものも多々あります。それではいけないのです。心の揺れを何かカタチにして留め置くことができなくては、単に時間だけが過ぎていく人生を送ることになっていかないかなぁと思うのです。ましてや、子どもたちの前に自信をもって立つことなどできないなぁとも。

 最後のクロージングセッションで、自分がしたい道徳の授業像から、そのために「変わるべきこと」「付け加えるべきこと」をグループでシェアする活動をしました。わたしたちのグループでは、「感動に気付く力」という考えが出されました。少しでも鈴木先生のようになりたいということから「密かな変人力」という言葉も出てきました(笑)。これがとても気に入りました。単にアンテナを高くとか、視野を広げるとかではなく、「何気ないことが気になる感覚」の持ち主という意味での「変人力」をこれから少しずつ、本気で身につけていきたいのです(とうてい、鈴木先生には追いつきはしないのですが)。まずは、おもしろい!ステキだ!と思ったものや事柄を集めることからはじめて、「変人」への道を歩み始めようと思います。(山口 淳一)

2017年10月5日木曜日

私とリフレクション

 今年度は担外になり,算数の少人数指導と専科として理科の授業を担当している。授業の中で気づいたことや感じたこと等は,時間があるときには授業後すぐに,時間がないときには放課後等にメモをとり記録を残すようにしている。その日の授業についてふり返り,次に活かしたいと考えているからだ。
メモの内容は次のようなものだ。

「面倒くさいという言葉…。できない,わからないということを周りの友達に知られないようにするために出た言葉なのではないか」
「学習に向かっているときと,向かっていないときの違いはなにか。問題ができる,できないなのか…」
「気持ちをどうやってアップさせるか…。まず話を聞いてあげる。聞いてあげることで,たまっていたものを出させることはできる。解決にはならないかもしれないが,まず聞くようにしよう」
「できないことでのトーンダウン?」

改めて自分のメモを読み返してみる。すると,指導言等について省みるメモよりも,上記のように,子どもたちの様子に関わることのメモの方が断然多いことがわかった。自分の見方や考え方は,子どもの特性を捉えることや,子どもたちをどうやって学習に向かわせるかということに向かっていたのだ。子どもの特性に合わせることや子どもの意欲を高めることが自分の中では優先順位が高いのだ。これは,これらのことができるようになると,子どもの力を伸ばすことができると自分が考えているということなのではないか。さらに,自分の意識が,指導言を改善する等の授業の仕方について考えること,つまり自分自身を変えようとしている方向には向いていないこともわかる。自分の見方や考え方は,子どもを変えようとしていることに大きく傾いていたのだ。

日々のメモは,子どもの特性を把握することや子どもをどうやって学習に向かわせるかを考えるきっかけになっている。また,複数のメモから共通点を見いだし,自分の見方や考え方に偏りがあることに気付くこともできた。メモが自分のモニターの役割を果たしたのだ。この気付きは,見方や考え方を意識的に広げることに役立っている。 
今後も,メモをもとに「リフレクション」を続けていこうと思っている。自分が意識していないことがさらに見えてくるかもしれない。どんなことが見えてくるか楽しみである。 
(三浦 将大)