2017年10月16日月曜日

学習発表会の時期に思うこと

ボクのまわりの人たちの学校は、学習発表会シーズンだ。
準備が始まったり、無事終えたりしている。そんな報告が飛び交っている。

ボクの学年も、学習発表会の練習がスタートしている。
いろんな意味で慌ただしくなってしまい、大切なことを軽視しがちになるから、日常を大事にしながら取り組みたいと思う。
だから、日常の延長上として、学習発表会があるといいなと思う。
でも、それは、あくまでもボクたち、教師の視点であることを忘れてはいけない。

子どもたちにとっては、学習発表会は、やっぱり日常ではないからだ。
特別に時間をとって、誰かに見せる(見てもらう)以上、子どもたちにとっては、日常ではないのだ。
ましてや保護者にとって、日常の大切さは理解してもらえても、学習発表会の出来栄えとは別物に考えてしまうのが自然だろう。

こうしたズレは、後々、様々な場面に影響してくることもある。
「日常を大事にしながら取り組む」という言葉は、ボクからすると、カッコイイ言葉だから、すぐに飛びついてしまうけれど、こうしたこともしっかり意識して取り組みたいなと思う。


「大成功でした!」「いい発表会になりました!」「子どもたち、みんな満足でした!」という言葉で終えられるような取組、発表になるといいなと、いつも思いながら進めている。でも、年齢と経験を重ねるごとに、そんな思いから遠ざかっていくことばかりだ。
終わった瞬間は、達成感がある。
でも、それは一瞬の出来事で、すぐに、本当に一人一人の思いに応えられた取組、発表になったのかと思って、心がドキドキする。不安になる。慌ただしかったせいで見えてなくて、盛り上がった(ように見える)せいで見えてなくて、思いに応えられなかったところがあるんじゃないかって。

練習をするたびに、振り返りを書いてもらっている。子どもたち自身が次の課題を見つけんがら、取り組めるためにだけれど、そこで書かれていることをていねいに読みとって、少しでも多くの子たちの思いに応えられる取組、発表会にしていきたいと思う。

                                       (大野睦仁)

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