2017年12月24日日曜日

なって初めて考えること

 突然ですが、私、円形脱毛症になりました。
 初めてのことで、言葉にできないほどの激しい動揺の中、生活をしています。
 気づいたのは、2週間ほど前。そこから、みるみる脱毛が増え、地肌が見えるところが次々と現れてきました。さまざまな症状があるようですが、現在、20カ所ほどの円形脱毛があります。
 そんな様子ですから、周りの人たちは、みんなすぐに気がつきます。どう対応したらいいかを困らせないようにと、すぐに伝えました。クラスの子どもたち、職場の方々。PTA主催の活動もあったので、保護者の方々にも通信を通じて伝えました。
 こうすることにより、「脱毛」に関する配慮がなされるようになります。私にとっては、とても過ごしやすい状態となりました。
 あなたなら、こんなとき、この事に触れられない方がいいですか?触れてほしいですか?実際、職場や周囲の方々からは、「脱毛、大丈夫?」と声をかけていただきました。そのほとんどが「私も昔なったことがある」や「周囲の人でなった人がいる」というものでした。こんなにもたくさんの人たちがなるものなのかと改めて思わされるほどでした。でも、その声かけによって、気持ちが楽になったというのも確かでした。
 つまり、触れてほしくないと思うことも、触れ方次第では、本人の救いになるということです。
 クラスの子たちは、さすがに、「なったことがある」という子がいないでしょうから、触れずに過ごしています。これまで通りに過ごすみんなが、「すごいなぁ」ととことん思いました。ですが、相手が「担任」だから、しかも、そのことについて話をしてきたら、いろいろな思いもありながらもそんなふうに過ごしてくれているのだろうと想像します。過ごし辛くさせているかもしれないなぁとも思いました。
 ふと、「これが私ではなく、クラスの子だったら?」と考えました。
 私のように、さっとみんなに伝えて、楽に過ごせる子ばかりではありません。自分では言えないけど、みんなに知ってもらって過ごしやすくなりたい!という子もいるでしょう。笑って話すけど、ものすごく内心落ち込んで、深刻に悩む子もいるでしょう。誰にも言えず、誰にも知られたくなく、殻に閉じこもる子もいるかもしれません。今、目の前にいる子どもたち一人ひとりの心に届く声かけを、それぞれの子に合わせて届けられるか?と自分に問うと、そんな自信が微塵もないことに愕然としてしまいました。
 でも、今、自分の頭を見ながら、自分にかけてもらった言葉を噛みしめ、何か言葉が浮かぶかもしれないと思い始めている自分もいます。特別な状況下におかれた今だからこそ感じられたことなのかもしれません。明日25日、2学期の終業式があります。20日間の冬期休業を経て、3学期を迎えます。もう少し、子どもたちを見つめる目を磨きたいと思ったクリスマスイブの夜でした。
                          (太田 充紀)

0 件のコメント:

コメントを投稿