2018年3月31日土曜日

平成29年度 活動終了

 おかげさまをもちまして、本年度の集会全日程を終了いたしました。
 たくさんのご参加をいただき、ありがとうございました。

 平成30年度の活動につきましては、計画が決まり次第お知らせいたします。

2018年3月26日月曜日

同僚と「交換ノート」をやってみた

 同僚と「交換ノート」をしています。北海道公立小学校教諭の小林雅哉さんに教えてもらい、「交換ノート」をはじめてから今年度で2年目となりました。「交換ノート」をとおして日々の実践や気づきを、何人かで交流しています。

今、学校は多忙感に包まれ、互いの思いを出し合っている余裕がないというのが正直なところではないでしょうか。他と腹を割って話す機会が減っている中で、お互いがどんな教育理念をもっているかを知らないまま相手のことを安易に否定してしまったり、折り合いをつける着地点を探れないまま話し合いが終わってしまうということもしばしばありました。また、同僚の先輩教師が「後輩へアドバイスしたい気持ちはあるが、そういう場がなかなかないんだよなあ」とつぶやいていました。学校力を高めるために何かしたい気持ちはあるが一歩踏み出せないもどかしさを抱えていることも知りました。

こうした実態を少しでも緩和できないかと考えて取り組み始めたのが「交換ノート」でした。「交換ノート」には、たとえば(その1)(その2)のようなことが綴られていました。

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(その1)

誰の言葉だったか・・・。

できない部分(障害)にからめとられた日常生活の支援や援助は「できない」に対する単なる日常生活動作の介助にすりかわってしまう。

必要なのは、介助を受けた中で利用者がどのような生活を送ることができるのかを考える大きな視点である。

 

思い出した。

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 この投稿をしたのは、初任者の特別支援学級の先生です。「僕らの仕事は介助することなのだろうか?」という大きな問いを同僚に投げかけたのだと思われます。

 

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(その2)

信念を貫くって素敵だなあ。

相手が誰であれ。

自分の信念を貫くことって

教師として、いや人として

大切なことだと思う。

簡単に曲げちゃったらイチバン大切にしなきゃならない「自分」が

なくなっちゃいそうな気がするもんな。

 この投稿をしたのは、私と同じ部活動の顧問が書いてくれたものです。この日の前日にいろいろあって落ち込んでいる私に、励ましの言葉を投げかけてくれたのだと思われます。

 

これらの他には、次のような投稿がありました。

①授業の板書をパシャリと撮ったもの

②授業で使ったワークシート

➂読書してお気に入りのページ

④朝の会で話した内容

Twitterでリツイートした投稿

⑥部活動等での語り

⑦子どもたちの写真

⑧教室掲示

⑨校内研修の感想

⑩校外の研究会の参加報告

⑪生徒指導で意識したこと

⑫学級づくりでの悩み

⑬授業づくりでの悩み

⑭励ましのメッセージ

⑮少し時間が余ったときに行った遊び

⑯学級懇談会の内容

⑰気になる新聞記事

⑱学級通信


こうした投稿に対して、下線を引いてちょこっとコメントを書きます。コメントの量は、家庭学習ノートを点検したときに書く程度です。実践や気づきを自分が投稿してもしなくてもいいし、相手の投稿に対してコメントを書いても書かなくてもいいというルールを設定し、無理なく自分のペースで進めることを大事にしました。

先日、「交換ノート」をPDF化すると、1年間でA4ノート92ページ分にもなりました。隙間時間を活用するので「交換ノート」で交わされるコメントの量はわずかですが、同僚から反応が返ってくるだけで日々の仕事へのモチベーションは上がります。また、3月にもう一度読み返して見みると、自分が取り組んできたことを俯瞰してものをみることができたり、取り組んできた中で優先順位の高い学びは何か情報を取捨選択したり、当時と変わったものは何か、変わらないものは何かを自覚することができました。

同僚との「交換ノート」が、みんなが多様な考えや意見を持ち寄って話し合えたり、協力しながら学校をつくっていくきっかけに少しだけ貢献できていたら嬉しいです。無理なく進められる「交換ノート」を、ぜひ次年度取り組んでみてはいかがでしょうか?

(藤倉 稔)

2018年3月16日金曜日

見てない大人と聞かない子ども

通勤途中のこと。いつの間にか道路脇に空き地が出来ている。先週まで何か建物があったはず。思い出せない。毎日通っている道なのに。しばらく考えて、「昔からあった食堂がなくなったのだろう」と自分を納得させた。あの食堂には20年前に一度だけ入ったことがある。もう店を畳んでも不思議ではない。

それから2週間後のこと。不思議なことが起こった。あの食堂が道路脇にあるではないか。あの空き地の手前100mの場所だ。自分を納得させたあの日から2週間、自分は何を見てきたのだろう。

不思議なこともあるものだ。きっと店を土台ごと移動させていたのだな。

改めて自分を納得させた。

 

目に映ることと見ることは別である。教師の目には、子どもが映る。だからと言って教師が子どもを見ているとは限らない。

そう言えば新しい自動車が欲しくなったときは、自動車のチラシがやたらと家に届き、ガーデニングに凝ったときは、街路樹さえもやたらと目に飛び込んだものだ。

見ようとしないものは目に見えないのだ。もっと言うと「星の王子さま」でキツネが語ったように、本当に大切なものは目に見えないのだろう。

 大人が子どもを見ていないように、子どもは大人の話を聞いてはいない。「さっき言っただろう」と目くじらを立てるのは、空を見上げて「なぜ雨が降るんだ」と怒るようなものである。

 子どもにとって世界は新鮮だ。つまらない大人の話を聞いている時間はないのだ。そう自分に言い聞かせるようにしていたら、「さっき言っただろう」と子どもに怒らなくて済むようになった。もっとも最近は、自分がさっき言ったことも忘れているからかもしれないが。


 見てない大人と聞かない子どもの間でコミュニケーションが成り立つのは、奇跡的なことだ。奇跡を起こすには、大人が子どもの話を聞くことだ。そうすると子どもは大人の話に耳を傾け、大人には子どもの本当の姿が見えてくる。(千葉孝司)

2018年3月11日日曜日

86.9%

 担外となり,算数の少人数指導に関わっていたときのことです。

私が担当した中にいたAさんは,まちがえてしまったり問題ができなかったりすると,顔の表情がみるみるくもり,イライラした表情になってしまいます。時には一緒に学習している友だちや自分自身にあたってしまうこともありました。そうなってしまうと,指導は受け付けない状態です。髪をぐしゃっとにぎったり,時には泣き出してしまったりすることもあります。

しばらく時間をおいて話を訊くと,

「わからなくてイライラグチャグチャして」

「できない自分に腹が立った」

「自分はダメ。なんでできない。前にできていたのに。何で忘れんだろってループになる」

等のように話してくれました。これらの言葉をもとに,Aさんに配慮しながら指導をしていました。

ですがあるとき,Aさんにとっての「イライラ」の原因は,実はこれらのことだけではないということがわかりました。

それは,

「お腹すいてイライラしちゃって・・・」

と話してくれたことがきっかけでした。そのことを聞いてから意識してみると,Aさんがイライラしてしまうのは,朝食を食べてきていないときや4時間目が多いことがわかりました。4時間目というと給食前の最後の授業です。朝食を食べていないときのAさんにとっては,お腹がすいているピークです。「あと少しあと少し」と,がまんしながら授業を受けていたのだと思います。そんなとき,どうしても授業に集中できず,できなかったりまちがったりしてしまい,イライラはさらに助長されていたのかもしれません。きっと,このようなことは,これまでの小学校生活で何度もあったのだと思います。

 

題名にある,86.9%というのは,「平成29年度全国学力・学習状況調査 児童質問紙」にある,「朝食を毎日食べていますか」という問いに,「している」と答えた児童の割合です。平成19年度からの経年変化を見ても,「している」が90%を超えたことはありません。中学生では,小学生よりも「している」と答えた割合は少なくなります。様々な理由で朝食を食べていない子どもが1割以上いるのです。

「している」の86.9%に含まれていない,13.1%の子ども達がどんな思いで授業を受けているのか。お腹がすいていて授業どころではないかもしれません。Aさんの言葉をきっかけに,このような子どもたちに自分ができることは何かを考え続けるようにしています。(三浦 将大)

2018年3月5日月曜日

何を伝えるか 誰が伝えるか

 小学校6年生を担任している今。
 もう卒業式までのカウントダウンも一桁になろうとしています。
 この時期になると、どうしても「あれもできるように」とか「ここはもっとできるように」と考えてしまうことが多く、そのゆとりのなさが子ども達に悪影響を及ぼしてしまう経験がありました。

 そこで今回は、学級担任として伝えたいことだけではなく、様々な大人からそれぞれのメッセージをもらうことにしました。いわゆる外部講師、ゲストティーチャーです。
 小学校は基本的に学級担任制ですから、一緒にいる時間が長いため、かかわりも深くなります。しかし、その一方で同じメッセージが繰り返されてしまい、メッセージ性が 薄れてしまうこともあります。ですから、ゲストティーチャーの活用が非常に重要だと思うのです。

 たとえば学級担任の私が、「中学校に行くと家庭学習は一日〇分は必要みたいですよ。」と話すのと、実際に入学する中学校の先生から、「中学校は授業だけでは難しい。家で学習する習慣が必要です。」と言われるのでは、子ども達の行動はかなり変わってきます。

 卒業間近で、あれこれ伝えたい気持ちも大切です。しかし、そんな時期だからこそたくさんの大人と出会い、様々な価値観と出会うことは、とても刺激的です。「何を伝えるか」と同じように「誰が伝えるか」という視点をもてば、子ども達は前向きに次の学年に進めることができる、そんな気がしています 。 (西村 弦)

約40年ぶりの再会

1年生の担任ということで、ほぼ毎日、国語の時間を5分ほど使って読み聞かせをしています。低学年を担任する時は「集中して話を聴く」力をつけるためと、「本に親しんでもらう」ためという意図で行なっています。
今年、1学期と2学期の週明けは「おさるのジョージ」(岩波書店)を読みました。出ているシリーズを全巻読みました。そこで、3学期は「おさるのジョージ」の前身にあたる「ひとまねこざる」シリーズを全巻揃えました。
その中で「じてんしゃにのるひとまねこざる」を読んだ時、私の絵本との出会いが蘇ってきました。主人公のジョージではなく、お話に出てくるこぐまが木から落ちそうになる場面…なんか見覚えがあるな、と。話のストーリーがどうだったかは覚えていなかったのですが、絵が記憶に残っていました。「はやおきしんぶん」と書かれたかばんにこぐまが入って救出されるというものです。
おそらくですが、自分が2〜3歳くらいの時に初めて与えられた絵本の一つではないかと思います。字は読めないけど、絵ばっかりパラパラとめくっていた時期かなと思います。
何気なく選んだ本が昔の記憶とつながる。そんな面白い経験をしました。もしかしたら、今回の本よりもさらに過去とつながる本が出てくるかもしれません。絵本の違った楽しみができました。

(大西 陵公)